F1 7月カレンダーの投稿にて、カルロスサインツJr.の初優勝について触れました。
サインツの初優勝は、F1キャリア通算151戦目での悲願成就となりました。自動車レース最高峰のF1、優勝を遂げるのはそう簡単ではないことが伺えます。
今回は、私がF1を観戦してきた中で、記憶に残るレース展開で感動的な初優勝を達成したドライバーと、そのレース4選をお届けしたいと思います。
あれもこれも書きたいと思うと文章が長くなってしまったので、「その1」「その2」に分けたいと思います!
多少おぼろげな記憶で記載いたしますので、F1ファンの方は適宜脳内補足をして読み進めを推奨されたし(っ ´-`c)
目次
J.アレジ 1995年カナダGP
1995年シーズン概要
1995年シーズンは、M.シューマッハとD.ヒルのタイトル争いを中心にシーズンが展開する中で、アレジの他にも、J.ハーバート、D.クルサードといった実力者たちが次々とF1初優勝を達成したシーズンでした。
Vonkura的な登場人物プチトリビアとして、D.ヒルのファーストネームは「デイモン」で、「読みの音が一緒繋がり」ということで、あのデーモン閣下の「聖飢魔II」が彼の所属するチームのスポンサーについたことでも日本のF1ファンには馴染みがあります。
J.アレジという男
アレジの初優勝レースに話をに戻しましょう。
アレジは、F1通算1勝ではありますが、当時思うように走ってくれないフェラーリのマシンを乗り回し、アグレッシブな走りでファンを魅了してきたフランス国籍のドライバーです。また、女優の後藤久美子さんと結婚したということもあり、日本のファンは多い印象があります。(私も好きですねぇ)
1989年シーズン途中からF1に参戦するやいなや、いきなり4位入賞を果たし注目を集めます。翌年の開幕戦ではマシン性能が上のA.セナと白熱の首位争いを演じ、将来のワールドチャンピオン候補として期待されました。
▼アレジvsセナ 白熱の首位争い!
青と白色の、カーナンバー4番のマシンがアレジです
A classic clip from the #USGP archives 🎞
Jean Alesi and eventual race winner Ayrton Senna going toe-to-toe on the streets of Phoenix 💪#F1 🇺🇸 pic.twitter.com/An46JMp1te
— Formula 1 (@F1) October 16, 2018
※F1公式のYouTube動画のサムネイル表示がブロックされるため、F1公式のTwitterから!
91年にフェラーリに移籍後、大いに期待されましたが、シーズンの蓋を開けてみると、フェラーリの戦闘力は他トップチームと比較して下降傾向。他チームとの性能差は、魂の走りだけではその差を埋めることができず、アレジは勝てないレースが続きました。
94年シーズンから、フェラーリのチーム体制は確実に整いはじめ、ようやく勝てるマシンを手に入れます。しかし、F1の神様は、そう簡単にはアレジに優勝を与えてくれませんでした。千載一遇のチャンスとなった94年イタリアGPでも、マシントラブルにより首位走行中にリタイア・・・。といった具合です。
アレジの初優勝伝説
そして時は1995年カナダGP。F1参戦92戦目にてアレジはF1初優勝を飾るわけです。
このレースでは、レース中盤以降にM.シューマッハにマシントラブルが発生したとはいえ、アレジはこのレース序盤から果敢にオーバーテイクを試みました。首位のドライバー脱落後に優勝を勝ち得る位置を走行していたということに価値があります。
アレジの初優勝伝説、何がすごいかというと、その巡り合わせです。
このカナダGP、アレジが憧れているフェラーリの伝説のドライバー、ジル・ヴィルヌーヴの名前を冠するサーキットで開催されるGPで、ヴィルヌーヴと同じカーナンバー27のフェラーリでの勝利となりました。
また、カナダGPの決勝が行なわれた6月11日はアレジ自身の誕生日でもあり、F1の神様がこのGPまで初優勝を取っておいたのではないかと言っても過言ではないと思います。
(フェラーリのカーナンバー27・28は、当時のチーム固有ナンバー制において『長い間フェラーリがチャンピオンになれなかった』証なんです)
アレジのマシンはウィニングラン中にガス欠でストップしてしまい、ギリギリの状態での優勝となりました。M.シューマッハのマシンの上にまたがってピットまで帰ることになりますが、マシンにまたがり観客席に向かって高々とガッツポーズをするアレジの姿は印象に残りますね。
なお、このレースではアレジのF1初優勝に興奮した観客・フェラーリファン(ティフォシと呼びます : 『チフス患者』を意味する言葉で、それぐらい熱されているという意味)が、まだ全車がフィニッシュしていないにも関わらず、サーキットに怒涛の勢いでなだれ込みました。走行中のM.サロは観客を避けるために減速を強いられ、その間にL.バドエルに抜かれてしまいました。そのためフィニッシュ1周前のリザルトが公式結果となっているという珍事も発生しています。
それくらいアレジの初優勝はF1界において、待望のものだったということです。
レース動画はこちら (F1公式 YouTube)
🏆 FIRST TIME WINNERS IN CANADA 🏆
Gilles Villeneuve (1978)
Thierry Boutsen (1989)
Jean Alesi (1995) 📸
Lewis Hamilton (2007)
Robert Kubica (2008)
Daniel Ricciardo (2014)#F1 🇨🇦 #CanadianGP pic.twitter.com/w1b7Z8bVUO— Formula 1 (@F1) June 6, 2018
この初優勝から、アレジはノリにノってチャンピオン街道一直線・・・! と思われましたが、翌96年からフェラーリには95年ワールドチャンピオンとなるM.シューマッハ(と、E.アーバイン)が移籍する運びとなり、アレジはベネトンにトレード移籍される形となりました。
ベネトンは95年にM.シューマッハがチャンピオンとなったチームではあったものの、「シューマッハスペシャル」のマシン特性に手こずり、またベネトンのチームの戦闘力も徐々に下降傾向にありその後は未勝利に終わってしまう運命をたどります。
アレジは2001年末でF1ドライバーとしての現役生活を終えることとなりましたが、中堅チームで熱い走りを見せ、時たま上位浮上して輝くアレジの姿に当時小学生の私は魅了されました。
O.パニス 1996年 モナコGP
手堅いF1職人 O.パニス
O.パニスは1994年にF1にデビューしたフランス国籍のドライバーです。中堅チームのリジェからのデビューとなりましたが、16戦中14レースで完走、かつドイツGPで2位表彰台に上がる等、常にチームメートの成績を上回る成績を納め、ルーキーらしからぬ堅実な走りで注目を集めました。
彼のファーストネームは「オリビエ」ですが、「O.パニス」という文字の収まりがよく、幼稚園〜小学生低学年時代の私はすぐ名前を覚えて両親によく「オーパニス、オーパニス」と言っていた記憶が残っています。
1997年に、前半戦で複数回表彰台に登壇する活躍を見せ、まさにこれからパニスのスター街道が!というところでしたが、カナダGPでのクラッシュで大怪我を負ってしまいます。
この怪我がなければ、パニスのF1キャリアはどのようになっていたのでしょうか・・・とたまに想いを馳せることがあります。
その後、チームのポテンシャルが下降傾向となったこともあり、期待された成績を残すことができず、1999年シーズンを持って長く過ごした1チーム目を離脱することになります。
2000年にマクラーレンのテストドライバーを経験した後、日本のホンダエンジンを搭載するB・A・R、そしてトヨタチームに移籍してF1キャリアを締め括る形となります。
初優勝を経験した1996年シーズンは、チームが日本の無限ホンダエンジンを搭載しており、またキャリア後年には日本のチームに所属していたため、パニスも日本人のファンが多いドライバーだと思います。
混沌を極めし 1996年モナコGP
リジェチーム在籍3年目の1996年モナコGPが、彼のF1キャリア初勝利かつ唯一の勝利となります。
モナコGPはフランスとイタリアの間にある小国モナコで開催される、公道をガードレールで仕切った作りの、「世界三大レース」の1つに数えられる伝統のレースです。
「ここはモナコモンテカルロ、絶対に抜けない」の名実況の通り、対向2車線部分も含まれる狭い公道コースをF1マシンが最高時速300km/h近くのスピードで爆走するという、考えてみるとなかなにクレイジーなイベントであります。その難易度から、「モナコGPでの1勝は他のレースの3勝に値する」というほど、モナコGPでの勝利はどのF1ドライバーにとっても特別な扱いを受けています。
1996年のモナコGPは決勝当日の午前中に激しい雨模様。決勝の時刻には雨は止んでいましたが、滑りやすい路面にクラッシュするマシンが相次ぎます。あのM.シューマッハも1周目に濡れた縁石に足をすくわれてガードレールの餌食となりました。
そんな状況を尻目に、パニスは14番手スタートから徐々に順位を上げ、フェラーリのE.アーバインを豪快にオーバーテイクする(その余波でアーバインはガードレールに接触する)等、堅実かつアグレッシブな走りを見せ気がつくと首位グループに浮上します。
パニスが乗るマシンのポテンシャルからすると、それまででも大健闘と言えるのですが、レース中盤から後半にかけてトップ走行中のD.ヒル、そしてJ.アレジのマシンにトラブルが発生し、彼らはリタイアに追い込まれます。
この時点で出走21台中走行マシンは7台というサバイバルの様相を呈していましたが、レース終盤に数台が絡むアクシデントが発生し、とうとう走行中のマシンは4台だけとなりました。
首位走行中のパニスは2位のD.クルサードの激しいチャージを退け、2時間ルール(レース開始から2時間を超えた場合次の周回に入らずフィニッシュとするルール)の適用によりトップでチェッカーフラッグを受けます。最終的に1996年モナコGPを最後まで走り切ったドライバーは3名。近年稀にみるとんでもない荒れたレースとなりました。
この超サバイバルレースで見事走り抜きトップでチェッカーを受けるという、まさにF1職人のパニスらしい初優勝の瞬間でした。母国のフランスに近い舞台のモナコGPということもあり、パニスがフランス国旗を掲げながらウイニングランをするシーンには感動した人も多かったことでしょう。
Earlier on Saturday we brought you the madness of the 1996 Monaco Grand Prix in full 💥
We've condensed all the best bits into a crazy five minutes 👀
Strap yourselves in 🎢#F1Rewind ⏪ #MonacoGP 🇲🇨 pic.twitter.com/dzadMIw5go
— Formula 1 (@F1) April 4, 2020
初優勝はいいもんだ
2名の初優勝エピソードを、Wikipediaよりは思い出補正ましましで語ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
今回は、奇しくも2名ともフランス国籍のドライバーとなりました。
数々の名ドライバーを生んだフランスですが、フランス国籍のドライバーの優勝は、今回取り上げたのパニスの優勝から、その後2020年のP.ガスリーの初優勝まで長いことお預けされる形となります。( ´・ー・`)
私はどうも常にトップランナーとなっている常勝のチーム・ドライバーよりも、きらりと光る、記憶に残るドライバーが好きになりがちです。
「その2」の記事でも、そんなきらりと光るドライバーの、割とカオス目なレースでの初優勝エピソードを2名分語っていきたいと思います!
(F1詳しい人はだいたい察しがつくんじゃないかな笑)
乞うご期待!